偏差値41だった僕が、駿台での浪人を乗り越え”東京理科大学”に合格した時のこと

このブログはあなたの浪人生活を支える為にあります。

偏差値41だった僕が、駿台での浪人を乗り越え”東京理科大学”に合格した時のこと

 

んにちは、あらんです!

 

 


私は2015年に

「辛くて孤独な浪人生活」

を1年間経験しました。

 

それはそれは

このようなブログで書き表せないほど

孤独だったのを覚えています。

 

 

現在でこそ

 

大学でバスケサークルに入って
男女で遊びに行ったり

ご飯に行ったりしています。



そのサークル内で
可愛い彼女も出来たりしました!

 

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しかし

 

この華やかな生活というのは
去年の私からは想像もできませんでした

 

 

 

ひとえに


一年間浪人を頑張れたから
今の生活があると思っています。

 


というのも、、、

 


ぼくは高校3年生の時7月まで

部活をやっており

 

大学受験なんて言葉は

まだまだ実感のわかない世界でした。

 


「本当に受験なんかするのかなぁ」

 

そんな気持ちで過ごしてました。

 

そうです。

 

僕は高校生のころ、

ずっと大学受験から逃げていました。

 


成績に関していうと

 

 

でした。

 


しかし

 

高校に上がりバスケ部に入ると

元々バスケが好きだったこともあり

部活に打ち込むようになりました。

 


それまで

中学ではなかった朝練が始まると

”週に3日,朝5時半に起きてバスケ”


そんな新しい生活が

組み込まれていきました。

 


中学では部活と勉強を両立しており

そこそこの成績をとっていたので

 

「高校でも同じ要領でいけるだろう」

 

 

と思ってました。


けれど、、、

 

現実はそんな甘くありません。

 


朝練が6時30分に始まると

8時まで1時間半トレーニングをし

8時40分からは授業。

 


早起きをし

運動をした疲れている身体で

”集中して授業を聞け!”


という方が無理な話です。

もちろん授業は起きているはずもなく



      全授業爆睡。



授業中寝ることにより回復した身体で

放課後の部活に再び参加し

7時半までハードなトレーニング。



そして


家に帰る頃にはすでに夜の9時。

 

クタクタになったままご飯を食べ

リビングのソファに飛び込み

面白そうな番組を

11時くらいまでぼーっと観るだけ。

 


そのままお風呂に入り、出たら

翌日の朝練にそなえて

ベッドに飛び込み、ひたすら寝る。



授業の復習や宿題

なんかやっている暇などもちろんありません。



それ以前に

 

授業をまともに聞いてないので

復習のしようがないのです。


そんな生活を送っているうちに

みるみる成績は下がっていき

 

それまでクラスで真ん中くらいの成績が

クラスでは常にワースト3


その頃のぼくは

部活に夢中になっており

大学受験に関しては



「受験まで時間あるしまだいいや♪」

 

とまでしか思っていませんでした。


親にも成績に関しては

成績のいい教科だけ強調して見せたり

悪知恵を働かせて

怒られないようにしのいでいました。


そもそも

 


「なんで将来使わない勉強なんかするんだろう」

とも思ってたので

なかなか勉強する気になりません。



「宿題もやらないのが当たり前」


「先生の話は聞き流すのが当たり前」

 

「起きている授業はふざけ倒す」



そんな不真面目な生徒だったのです。


定期試験では直前まで勉強せず

前日の一夜漬けで最低限の点数を取り

また部活に打ち込む

という日々に明け暮れていました。



というわけでそんな生活が

引退する高校三年生の7月まで

もつれ込んでしまい


    大学受験までわずか5ヶ月



学力は偏差値40前半と

依然として悪いまま、、、

 

私立理系だったぼくは

数学・英語・物理

の三科目に絞りました。

 

一応予備校には通っていたのですが

 

その予備校は

授業が映像形式だったのです。

 

映像なので

誰の監視もないことになります。

 

ぼくは誰かに言われないと

自分から勉強をできるような

人間ではなかったので

 

映像授業は勉強から逃げるには

不運にも良い環境でした。

 

大学受験まで残り3ヶ月

 

さすがのぼくも

周りがやっているのもあって

焦り始めました。

 

  「このままの学力ではやばい」

 

そう思って

慣れない長時間の勉強を

なんとか頑張っていました。

 

 

しかし

 

全然学力が伸びないのです。

 

 

ストレスと焦りだけが増し

現実から逃げだしたい状態でした。

 

そもそも

 

今まで部活しか

まともにやってこなかったので

勉強というもののやり方を知りません

 

間違った方向へ向かって

無心で勉強し続けていたぼくは

 

大学合格という

ゴールにたどり着くはずもなく

そのまま受験へ、、、

 

受験した

明治大学中央大学東京理科大学

青山学院大学、法政大学

全てに落ちました。

 

そう、結果は全敗


重い現実を突きつけられました。

 


合格発表を見るたびにメンタルが

ボロボロにやられました。


   「もっと勉強すればよかった」



親への申し訳ない気持ち

自分に対しての不甲斐なさ

数日間さいなまれました。


浪人が決まった瞬間

頭の中が錯乱状態になり

1日中整理がつかない状態でした。

 

 

その二日後が卒業式だったのですが


浪人が決まった状態で卒業するのが

とても苦しかったのを

今でも鮮明に覚えています。

 


先生たちからの

「浪人はお前が思ってる以上に辛いぞ、頑張れ」

「なんか苦しくなったら相談しろよ、応援してる」


といった激励の言葉も

春から大学生になる友達の激励の言葉も

ぼくにとっては
苦しいものでしかなかったです。


そして

 

4月になって予備校に入り

浪人生としての新生活が始まりました。

 


予備校生活は

とても味気なく淡白なもので

それまで学校に行って

当たり前のように友達と話してた生活も

予備校では


会話の「か」の字もありません。



朝起きて予備校に行き

ただひたすら机に向かって

先生の授業を真面目に受け、勉強する。



予備校では

そんな生活が当たり前なのです。


ぼくも一応浪人生としての意志を

しっかり固めていたので

意識は高く持って生活していました。



それまでぼくは長期間

まともに授業を聞いたことがなかったし

なんせ不真面目な人間だったので

はじめのうちはかなり苦労しました。

 

 

 

今でも覚えています。

 

 

 

4月15日 朝8時50分

 

新たな予備校生活が

始まろうとしていました。

 

新たな予備校は

現役の頃とは違って

映像ではなく生の授業でした。

 

先生が前に立ち

100人の生徒が授業を聞く。

 

新しいテキストと共に

入塾したぼくの胸の中には

やる気しかありませんでした。

 

4月15日の最初の授業は

よくある普通の授業ではありません。

 

それは

 

それぞれの科目の先生が

一年間の過ごし方と

勉強法を教えてくれるものでした。

 

ここが現役の頃とは違い

明確に自分の進むべき道

一番最初に示してくれたのです。

 

 

ゴールにたどり着きたいなら

最短距離の線路の上を走るのが

一番良いに決まってます。

 

そして

 

そのレールを始めの段階で先生が

明確に敷いてくれたのでした。

 

次からの授業内容は

基礎の基礎からやっていくもので

いわばレールをしっかりと

頑丈なものへしていく作業です。

 

 

加えて

 

大手の予備校だったおかげか

先生の授業が明快でわかりやすく、

集中して聞けたのがポイントでした。

 

そもそも

高校時代は授業が理解できないので

授業に集中するのが困難だったのです。

 

 

なので

 

自分が授業に集中して

取り組んでるのに少し感動したのを

今でもよく覚えています。

 

そこで


   ”勉強の楽しさ”

というものを初めて

わかったような気がしました。


特にそれが表れた科目が数学で

数学を勉強してる時


楽しいという感情が芽生えてました。

それまでの自分では

絶対に考えられないことです。

数学というのは

突き詰めれば暗記という作業はなく



 「自然と体に身につく」

 

という感覚でした。


まるでスポーツと一緒だなと思えて

それこそ”練習”を繰り返しました。

 

部活をずっとやっていたので

練習と思えば

そこまで苦ではありませんでした。


勉強慣れしてない最初の方は

もちろん集中できず

かなり手こずることもあったのですが



毎日やっているうちに習慣となり

勉強するのが ’当たり前’

の領域までたどり着きました。


そして

 

正しいレールの上を走っているので

絶望だった数学力もだんだんと上がり


5月の模試で

数学偏差が40前半から

50前半は取れるようになって

偏差値は10も上がりました。


他の教科も伸びたのですが

ぼくは数学が目立って開花しました。

 

もともと

 

勉強の中でも数学は

嫌いではなかったので

一番早く伸びたのではないでしょうか。

 

同じく浪人が決まり

予備校に同時に入った

ぼくより少しできる友人も

 

はじめの授業のおかげで

順調と成績が伸びている

言っていました。



数学の力がついてくると
問題がスラスラ解ける
ので本当に楽しいです。



楽しいとまた数学に没頭し

さらに

 

数学力がつくという
好循環が生まれます


そして数学の楽しさを知ってからは

自分も驚くほどみるみる偏差値が伸びて

7月の模試には

それまで40前半だった偏差値も

60代にまで上がり

加えて数学の自信もつき始めました!!

 



では、なぜあの不真面目なぼくが

ここまで数学の偏差値を伸ばせたのか。


それにはある理由があります。


その理由とは

 

 

やはり最初の授業で

予備校の先生に教えてもらった



”とある勉強法”です。

 


この勉強法は誰にでもできるもので

その瞬間から始めることができます。

 


そして

 

継続すればするほど

数学の力は確実に伸びてきます。


なんたって

あの不真面目なぼくでも

出来たのですから。

 

 

数少ない同じ予備校に通っていた

浪人友達に聞いても

 

やはり最初の授業のおかげで

同じように数学の成績が伸びた

 

と言っていました。

 

その時ぼくは気づきました。

 

 

数学を伸ばす鍵は

”勉強法”にあるのだと。

 

 

 

しかし

 

 

勉強法といっても

現役時代にやっていた方法と

少ししか変わりません。

 

その少しの違い

成績の伸びがかなり違ってくるのです。

 


そして

 

受験まで数学力に磨きをかけて

模試では常に偏差値65以上

を安定して取れるラインにまでなり


他の教科も一年間かけて
なんとか受験レベルに引き上げました。

 


そして

 


現役時代落ちた

明治大学中央大学青山学院大学

全て合格することができました。



合格できた理由として

やっぱり絶対的な数学力

あったからだと思います。



というのも最後まで英語が苦手で

センター本番120点

 

くらいの実力だったので

数学無しでは

本当に合格はなかったと思ってます。




今では

 

冒頭でも述べたように

夢のキャンパスLIFEを送っており

大学生活という日々がとても充実してます。


大学というのは

それまで浪人生という狭い世界では

予想もつかない世界が広がっています。


あの不真面目なぼくが変われたのです。

あなたが変われないはずがありません。


さぁ次に変わるのはあなたです。

今この瞬間から成功

一緒につかみ取りに行きましょう!!


最後まで読んで頂き

誠にありがとうございました。

 

このブログが少しでも

皆様のお役に立てることを

願って書かせて頂いております。

 

 

そんな私の経験から得た

ノウハウをまとめた記事はこちら

 

alan-rounin.hatenablog.com